調理室は一年桃組の生徒で賑やかだった。
 彼女達は今日の授業でクッキーを作ることになっている。一人づつ焼くので、オーブンは順番待ち。
 祐巳は、グループの中で一番最後に焼いた。

 それが原因だったのかもしれない。
 いや、同じ条件でも他の人ならば違ったのかもしれない。

 オーブンから出てきた祐巳のクッキーは、プレーンクッキーのはずが、ココアクッキーのような色になっていた。
 呆然とする祐巳の脳裏に、授業の頭で先生が言った言葉が蘇る。

 ―――後からオーブンを使う人は、既に熱くなっているので時間を短くするように―――

 なのに祐巳は一番最初の人と同じ時間で焼いてしまった。これでは焦げて当然。

 「祐巳さん、大丈夫よ。香ばしくて美味しいわ」

 同じグループだった志摩子さんが一つつまんでそう言った。しかし、お菓子作りの初歩とも言うべきクッキーに失敗したというショックは、友人の優しい言葉を持ってしても立ち直り難かった。


 落ち込んだまま祐巳は音楽室の掃除を終え、誰もいないことを利用して少しの間ぼんやりしていた。
 そこに。

 「あら祐巳さん。ごきげんよう」

 静さまがやってきてにこやかに挨拶をした。

 「静さま・・・ごきげんよう」
 「どうかした? 元気がないようだけど」
 「それは・・・・・」

 静さまは勘が鋭い。それとも、そんなに祐巳の落ち込み具合がひどいのか。
 祐巳は、静さまにならいいか、と思い事情を説明した。
 ふんふん、と祐巳の話を聞いていた静さまだが、祐巳が話し終えるとちょっと笑った。

 「なーんだ。そんな事?」

 そんな事、って静さま。本人は結構気にしてるんですから、と祐巳はちょっぴり傷ついた。
 そんな祐巳の気持ちに気付いたのか、静さまが口を開く。

 「あ、ごめんなさい。そんなつもりで言ったんじゃなかったの。祐巳さん、そのクッキー今持ってる?」
 「あ、鞄の中に・・・」

 今日はそのまま薔薇の館に行くつもりだったから鞄を持ってきている。祐巳は鞄の中から焦げたクッキーを取り出して静さまに手渡した。

 「これがそのクッキーなわけね」

 少しの間観察していた静さまはおもむろに包みを開くと、一つ取り出してそのまま口に入れた。

 「あっ」

 慌てる祐巳の目の前で静さまはゆっくりと飲み込むと、うん、と満足そうに笑った。

 「結構いけるわよ、このクッキー」

 そう言うとにっこりと祐巳に微笑みかけた。

 「でも、こんなに焦げてるのに」
 「あら、生焼けよりずっと良いじゃない」

 そして二つ目を口に入れる。
 その様子を見ている祐巳の心中は穏やかではなかった。
 あんなに焦げたクッキーを食べて、万が一静さまの喉を痛めてしまったら、と考えるとはらはらする。
 しかし、当の静さまはと言うと、二つ目も美味しそうに食べ、祐巳に提案した。

 「薔薇の館で皆さんに食べて頂いたら? 祥子さんも喜ぶんじゃないかしら」

 思わずドキリとした。確かに、作る前まではそんな事も考えてはいたのだが、実際に焼き上がった物を見てその考えは捨てた。
 何と言っても、お菓子作りのプロの令さまや、祐巳とは比べ様もない位上手に焼いた志摩子さん、その他美しい人々の前に、どうしてこんな失敗作が出せようか。例え周りの人が気にしなくても、祐巳が気にする。

 祐巳が答えかねていると、静かさまがもう一つ提案した。

 「それじゃ祐巳さん、一つ相談。このクッキー、私が頂いてもいいかしら?」

 一瞬、耳を疑った。静さまが、このクッキーを欲しい?
 ついじっと見つめてしまったが、見つめ返す静さまの瞳は穏やかで、それが冗談なんかじゃないって語っていた。
 それでも。

 「本当に、こんな物が欲しいんですか?」

 尋ねると静さまは少し眉を上げ、すぐに柔らかく笑った。

 「あら、私は祐巳さんの手作りだから欲しいと思ったのに」
 「えっ?」

 驚いていると静さまが言葉を重ねた。

 「それに、部活の後ってお腹が空くの」

 言って、ふふっと笑う静さまを見て祐巳は、それなら、と承諾した。

 「それじゃ、部活の後にどうぞ」
 「ありがとう」

 挨拶をして、音楽室を後にする。

 薔薇の館に向かいながら思った。


 今度もう一度クッキーを作ろう。
 今度は上手に焼いて、そしてもう一度静さまに食べてもらおう。


 そこまで考えて、突然由乃さんが頭に浮かんだ。しきりに、「それって浮気?」と繰り返してくる。

 その由乃さんに祐巳は頭の中で、「焦げ焦げクッキーじゃやっぱり悪いから、今日のお口直しにね」と弁解をして薔薇の館へ向かう歩調を速めた。






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