「祐巳さま、退いてくださいー!!」 気がついた時はすでに手遅れだった。雪を撒き散らしながら一緒に派手に転ぶ。祐巳は一足先に起きあがると、まだ雪の上に転んでいる相手に声をかけた。 「だ、大丈夫?瞳子ちゃん」 手を差し出すと瞳子ちゃんはむっとした声で「結構です」と言って自力で立ち上がろうとした。が、なかなか苦戦している様子。もう一度手を出すと、しばらく間はあったが今度は、 「・・・ありがとうございます」 と言って祐巳の手を取った。 山百合会一同、加えて瞳子ちゃんは今年もスキーに行くことになった。お茶の席で、去年は今の時期スキーに行ったねという話になって、まず由乃さんがゴネた。 「今年も行きたい!ねぇ令ちゃ〜ん」 これには令さまは困ったようだ。 「去年はお姉さまが招待してくれたから行けたの。今年はそんなアテないでしょう」 「でも行きたい!行って里谷さんみたいなモーグルするの!」 剣道部に入って基礎体力をつけた由乃さんはとんでもないことを言い出した。 「モーグル!?ダメダメ、せめてスノボー!」 由乃さんのトンデモ発言に慌てた令さまは、蒼くなって一部訂正した。 「そうだ、祐巳ちゃんはスノボー出来るんだよね」 「? はい」 突然矛先がこちらに向いた。 「泊まる所なんかは私がなんとか見つけるからさ、一緒に行かない?」 令さまは由乃さんに甘い。もう行く気になっている。 祐巳の脳裏に去年の思い出が蘇る。スノボー初心者の祥子さまと聖さまにコーチをつけたんだっけ。何だかんだであんまり祥子さまと二人っきりにはなれなかったけど、楽しかったな。 行こうかな、という考えがむくむく膨らむが、由乃さんたちに遠慮したい気持ちもある。 「でも・・・」 「じゃあ祐巳さんは祥子さまを誘って、さ。あ、もうこの際だからまた山百合会で行こう?」 由乃さんの心はすでにゲレンデにあるようだ。志摩子さんにも交渉を始めた。 「志摩子さんたちもどう?」 「私は構わないけれど。乃梨子、どう?」 「スキーか・・・。私、したことないなあ。本当にいいんですか?」 乃梨子ちゃんは宙を睨んで呟くと、令さまに向かって尋ねた。 「大丈夫、大丈夫。どこか安いツアーでも探すから」 言葉とは裏腹に、令さまの顔は引きつり気味だ。祐巳ですら、今から探して見つかるのかなと思っているくらいだ。かなり厳しいと思う。あ、でも祥子さまならどこかアテがあるかもしれない。是非聞かなくちゃと思ったところに、用事で職員室に行っていた祥子さまが戻ってきた。 「何の話?」 「今度またスキーに行こうって話していたんですけど、祥子さまはどうかな、と」 「私・・・?」 祥子さまは祐巳の顔を数秒見つめると、ふっと息を吐いた。 「あなたのそんな顔を見て、行かないはずないでしょう」 色好い返事に思わず心の中で小躍りしてしまう。けれど。 「ねえ、私、そんなに行きたそうな顔してた?」 「してた」 小声でそっと由乃さんに尋ねると、彼女はきっぱりと頷いた。やっぱり、と思ってガクッとなる。 「それでさ、祥子。どこかタダとはいかなくても、安く泊まれる所知らない?」 どうやら令さまも祥子さまを頼りにしていたようだ。祥子さまが口を開きかけたその時。 「それだったら、ちょうどいい話がありますよ」 いきなり扉が開いて勢いよく登場したのは瞳子ちゃんだった。 「瞳子ちゃん、扉は静かに開けてよね・・・」 一番扉に近かった令さまが胸を押さえて息を吐いた。 「あ、すみません。それより、いい話を持ってきたんですって」 「いい話?」 「はい。宿泊費タダ、温泉付きで長野にご招待」 「温泉!?」 祥子さまを除いた全員が思わず声をあげた。スキーができてその上温泉にも入れるなんて。極めつけは、宿泊費タダ。・・・・・・おいしい。おいしすぎて裏がありそうだ。 「話は分かったけれど。何が目的なの?」 「目的だなんてそんな。人聞きが悪いですわ」 「それは失礼。でもね、出来過ぎた話には用心しないとね」 「さすが黄薔薇さま。でも安心してください。祥子お姉さまをお誘いしようと思って来てみたら、皆さまのお話が聞こえたもので」 にっこりと瞳子ちゃんは笑った。なるほど、せっかくだからみんなまとめてご招待というわけか。瞳子ちゃん、意外と太っ腹。 「どうする?祥子」 令さまは祥子さまを仰いだ。 「せっかく招待して頂いたのだから、ここは素直に受けましょうか」 祥子さまのその言葉は鶴の一声だった。 こんな経緯で、スキー旅行は決定したのだった。 「大体どうして祐巳さまがコーチなんですか」 立ち上がった瞳子ちゃんは、もう何度も口にした言葉を繰り返した。 「だから、単に私が一番経験者だからだって」 瞳子ちゃんは最初、祥子さまにスノボーを教わろうとしたのだが、「初心者だから」と断られ、仕方なく祐巳に教わることになったのだ。祥子さまとスキーをするという選択もあったのになぜそうしなかったかというと。多分、祥子さまに「祐巳に教わるといいわ」と言われたからだろう。祐巳だって、「しっかり面倒見てあげてね」なんて頼まれて断れるわけがない。 祥子さまが好きだという点は、二人の唯一と言っていい共通点なのだ。 「ほら、もっと思い切って体重移動して」 どうやら瞳子ちゃんはスポーツの方はあまり得意ではないらしい。かと言って、悪いというわけではない。平均的、というところか。勢いがつくとなかなか止まれないが、基礎は覚えたようだ。それでも形になってきた頃はもう日が半分以上沈んでいた。 「瞳子ちゃん、どうする?まだやってもいいけど、疲れたなら戻ろうか?」 お腹が空いてきた祐巳が尋ねると、瞳子ちゃんはあっさりと言った。 「戻ります」 「あれ。てっきりまだするかと思ってた」 「どうしてですか」 「今日中に覚えたら明日は祥子さまと一緒に滑れるじゃない」 「その点はご心配なく。早く戻らないと祥子お姉さまと一緒に食事が出来なくなりますよ」 言うだけ言ってさっさと行こうとするものだから、祐巳は慌てて追いかけた。 この時はまだ、何も変わったことはなかったのだ。 「それ」は、いや、ある意味「それら」はいつの間にこんなに近くに来ていたのか。 みんなで食事にする前に、希望者でもう一つのお目当ての温泉に入ることにした。ここ野沢で一番有名なのは、多分「外湯」と呼ばれるこの温泉だろう。 宿を出て、一番近くにある外湯へ向かう。由乃さんと令さま、それに祐巳という顔ぶれでのんびりとお湯に浸かる。 「祐巳さん、瞳子ちゃんのコーチはどう?」 「どうって別に・・・。特に問題はないよ」 「ふうん。あ、私と一緒に令ちゃんに教われば祐巳さんは祥子さまと一緒にいられたのか。そうすれば良かったね」 ごめん、と由乃さんが謝った。その時。 「冗談。由乃一人で私はもう手一杯よ」 お湯の中でふくらはぎをマッサージしていた令さまが顔を上げた。 「何それ。どういう意味?」 「どうもこうも。お願いだからもう少し大人しくして」 どうやら由乃さん、かなり無茶をやったらしい。令さま、お気の毒。怒ってお湯をかける由乃さんを止める気力もないのか、令さまはやられっぱなしだ。 とりあえず飛沫のかからない場所に移動して伸びをすると、近くでお湯が動いた。 (他のお客さんか) ちらりとそちらを見るより早く、背後から腕が伸びてきた。 「ぎゃうっ!!」 「あ〜、やっぱり祐巳ちゃんだった」 一瞬夢かと思った。でも、この腕は。この声は。 「聖さま!?」 動けないので顔だけで振り向くと、やはりそこには佐藤聖さまのお顔があった。 「何か聞いたことある声がするな〜と思ったら」 ははは、と笑いながら、聖さま。どうでもいいけど、いい加減肩にぐるりと巻き付いた腕を解いて欲しいんですけど。 祐巳の叫び声を聞いて令さまと由乃さんが近づいてきた。やっぱり最初は驚いたようだったが、すぐに挨拶を交わす。 「お久しぶりです、聖さま」 「うん、久しぶり。それにしても人違いじゃなくてよかった」 濡れた髪をオールバックにしながら聖さまは言う。 「由乃ちゃんと祐巳ちゃんが髪結んでないから別人かなって。でも声がしたから」 って。それだけで抱きつきますか、普通。もっとも、この方に祐巳の「普通」はあまり当てはまらないのだが。 「聖さまはお一人ですか?」 「いや?あと二人いるよ」 聖さまの言葉に、由乃さんが水鉄砲をしながら笑って言った。 「二人ってもしかして蓉子さまと江利子さまだったりして」 「ピンポーン」 由乃さんは多分ほんの冗談つもりで言ったのだろうが、何と聖さまは口で正解音を出した。 「は?」 「だから、当たり。呼んでこようか?」 聖さまは祐巳の半開きの口を、顎を抑えて閉じさせた。 「お姉さまたちは今どちらへ?」 三人の中で一番落ち着いている令さまが尋ねると、「あっち」と聖さまは示した。 年上の人たちを出向かせては失礼だということで、みんなでお湯の中を行進していくと、確かに二人の女性がいた。 「ただいまー」 陽気に聖さまが声をかけると、背中を向けていた二人が振り返る。 「おかえり・・・えっ?」 蓉子さまと江利子さまは口を開けたまま固まった。 「お姉さま、蓉子さま、ご無沙汰してます。お元気そうで」 にこやかに令さまが挨拶すると、蓉子さまは返事をしてからどこか呆れたように呟いた。 「聖・・・あなたってホント、地獄耳ね・・・」 「皆さんもスキーをしにことらにいらしたんですか?」 「いや、私たちは」 聞けば、三人は温泉を目的にやってきたらしい。やっぱりと言うか、聖さまが話を持ちかけて、聖さまの希望で野沢の外湯巡りをすることになったそうだ。 これだけでも十分驚きなのに、なんと旅館まで同じだと言うのだから信じられない。聞いた瞬間思わず叫んでしまった。 「さっき着いたばかりなのよ」 約一年(蓉子さまと聖さまには夏休み前に一度会ってはいるが)会っていない間に三人とも随分大人っぽくなっていた。何だろう、顔つきが違って見える。祐巳は、卒業したら自分もこんな風になれるだろうかと考えた。 (・・・・・・) 何だか、無理っぽい。天然はどうしようもないのだ。 「祥子とかも来てるんでしょ?」 祐巳の考えをよそに話は進む。 「ええ。志摩子や、その妹も」 「志摩子の妹!」 祐巳は、ちらりと聖さまを見た。志摩子さんに妹が出来たと聞いて、どういう心境なのだろう。やっぱり寂しかったりするのだろうか、と思ったが、本人は大して興味なさそうに、溶けそうなくらい温泉に浸っていた。 驚かせよう、と言い出したのは蓉子さまだった。案の定、江利子さまと聖さまもそれに乗る。 トントン 襖をノック。中には祥子さまたちがいるはずだ。 「ただ今戻りました」 外から祐巳が声をかける。―――ああ、あの祥子さまを騙すだなんて、心が痛む。 「ああ、祐巳。お帰りなさい」 何も知らない祥子さまが中から声をかける。祐巳は、返事をしなかった。 「祐巳?どうしたの?」 返事がないのを訝しがる声がする。それでも祐巳は返事をしなかった。 「祐巳?」 ガラリ しびれを切らした祥子さまが襖を開けた。そして、固まる。 「―――――!!」 「こんばんわ」 祥子さまの目の前に立っていたのは、祐巳ではなく、蓉子さまだった。 「―――」 「あら、声も出ないくらい驚いたの?」 祥子さまをからかう蓉子さまの声は楽しそうだ。祐巳は江利子さまの影からその様子を見ていた。 奥から志摩子さんたちもやって来る。志摩子さんは短く「あっ」と叫んだ。 「・・・お姉さま・・・」 小さな呟きだったが、聖さまの耳にも届いたようだ。ん、と顔をそちらに向けて、目を細めて微笑みかけた。 「志摩子」 二、三歩聖さまは部屋に近づいた。開かれた襖の所で立ち止まったままの志摩子さんに手を伸ばす。 「元気そうね」 「お姉さまも」 軽く指で志摩子さんの髪に触れただけだった。すぐに聖さまは少しおやじが入った様子で奥を覗き込んだ。部屋の真ん中辺りに立っていた乃梨子ちゃんと瞳子ちゃんを見て、えっと、としばし考えて。 「あなたが、志摩子の妹?」 乃梨子ちゃんに向かって言った。問われた乃梨子ちゃんは背筋を伸ばして「はい」と答えた。 何を言うつもりなんだろうと思って見ていたが、聖さまはただ「そう」と言っただけだった。 聖さまと志摩子さんが再会している間に、祥子さまと蓉子さまたちも落ち着いたようだった。祥子さまは、さっきまでわいわい言っていたのに、今はすっかり大人しくなって顔一杯に笑顔を浮かべている。やっぱりお姉さまである蓉子さまに会えたことはかなり嬉しいらしい。祐巳には絶対しない表情でいる祥子さまを見て、蓉子さまが少し羨ましくなった。 卒業生と一年生の紹介を簡単に終えてくつろぐこと一時間ばかし。食事の時間がきたので蓉子さまたちは引き上げていった。祥子さまが自ら名乗り出てそれを送っていった。 「志摩子さんのお姉さまって・・・何か、すごい人だね」 ずっと聖さまにちょっかいを出されていた乃梨子ちゃんがぐったりとして言った。 「お姉さま、乃梨子のこと気に入ったみたい」 ふふふと志摩子さんが嬉しそうに笑う。それに対し乃梨子ちゃんは「へ?」って顔してるけど。 そして、ずっと蓉子さまに積極的に話しかけていた瞳子ちゃんが両手を顎の辺りで組んで目をきらきらさせていた。 「蓉子さまってさすが、祥子お姉さまのお姉さま・・・知的で美人で優しくて」 もう、うっとりって感じでほうと溜め息を吐いた。みなさん素敵な方ばかり、なんて赤い顔して呟いている。何だか意外な一面を見た気がする。 やがて、上機嫌で戻ってきた祥子さまを待って夕食をとった。祥子さまの隣で食べる料理はどれも美味しかった。たとえ、反対隣に瞳子ちゃんがいたとしても。ただ、必要以上に緊張していたせいで箸が上手く使えなかったのは恥ずかしかった。―――今度からお弁当はフォークじゃなくてお箸にしてみよう・・・。 2へ続く
|