不運 「聖、どうしたの?何だか楽しそうに見えるけど」
「そう?実は今日の昼休みに面白そうな子を見つけてね」
江利子の問いに、いつになく楽しそうに聖が答える。
他の人は出払っていて二人しかいない。聖はその出会いを愉快そうに江利子に話し出した。
聖は昼休みになると図書館へやって来た。本を読むためではない。四時間目の授業で使った資料を戻しておいてくれと教科担任から頼まれたのだ。
特に断る理由もないので引き受けた、ただそれだけだ。
資料を戻し終え、さあ出ようとしたその時。
いきなり、背中に何かがぶつかった。
そして聞こえるプリントと本の崩れ落ちる音。
「?」
迷惑そうに振り返った聖の目の前に、一人の少女が立ちすくんでいた。まだ少し幼い顔立ち。背も低い。一年生かな、と思った。
その少女は突然我に返ると頭を下げた。左右で結ばれた髪が勢いよく跳ねる。
「すっ、すみません!前が見えなかったもので・・・本当にすみません!」
よほどパニックになっているのだろう。顔が真っ赤だ。
「早く拾わないと、踏まれるよ」
そう告げて立ち去ろうとした。しかし、立ち去れなかった。拾い始めた少女の手つきが不安に思えたのだ。
―――このままだと、またばら撒きそうだ。
そう思うなり自然とプリント類を一緒に拾い始めた。
「あっ、すみません、ありがとうございます」
「別に。ぶつかった私にも責任あるし、他の人にも迷惑だし」
淡々と拾い集めていく。最後に数冊の本を載せて、出来上がり。
出来上がった山を見て聖は内心呆れた。
(これを一人で運ぶ気なの・・・?)
少女はその山を抱えるとちょっと横歩きになった。そして、聖の顔を見る。
「あの、ありがとうございました。助かりました」
そう言ってペコリとお辞儀を―――――
「危ないっ」
聖は崩れかけるプリント達を少女ごと抱き止めた。
「まったく・・・。一人で運ぶなんて無茶だよ」
聖は少女の抱える山を半分持って歩き出した。
「クラス、どこ?」
先に歩き始めた聖を追って少女も歩き出した。
「あの・・・中等部なんですが・・・・・」
すごく申し訳なさそうに少女が答える。
それを聞いて聖は「まいったな」と思った。図書館は中・高等部共同だという事を忘れていたのだ。
図書館から中等部の校舎までは距離がある。しかし、そこは乗り掛かった船。自ら申し出たのだし、と聖は腹を括った。
「そう。急がないと時間なくなるよ。ほら、早く」
少女を急かして少し早足で歩く。
やれやれ、我ながら随分と人がいいな。
聖は心の中で嘆息した。
「ふうん。それはまた、随分面白い子ね」
「江利子もそう思う?面白かったなあ、あの子。今三年って言ってたから、来年また会えるかな?」
「で、その子何て名前なの?」
「え?えっと・・・何だったかな。帰る時聞いたんだけど」
「呆れた・・・数時間前に会った人の名前をどうして忘れるのよ・・・」
心底信じられない、といった風に溜め息を吐く江利子に、聖がささやかな反撃に出る。
「仕方ないじゃない。元々人の顔や名前なんて覚えないんだから。でも、あの子の顔はちゃんと覚えてるよ」
江利子は「あ、そう」と言って紅茶を一口含んだ。
聖は必死に名前を思い出そうとぶつぶつ言っている。
それにしても、と江利子は思う。聖に興味を沸かせたその子をすごいと思うし、自分でも興味深い。
しかしそれよりも、「可哀想に」という思いの方が強い。来年聖と出会えば、きっと何らかのちょっかいをかけられるのだろう。
そう思うと、同情を禁じ得なかった。
「その子も災難だったわね・・・」
「ふ・・・福沢!そうだ、福沢祐巳ちゃんだ」
江利子のつぶやきと聖の声が重なった。
それは、三月初めのある日の出来事。