寒中水泳大会




 「―――――寒っっっ!!!」
 「確かに・・・十一月じゃちょっと寒いわよね」
 猛烈に寒がる祐巳の言葉に志摩子さんがおっとりと答えた。
 二人は水着を着て、プールサイドに立っていた・・・・・。


 事の始まりは白薔薇さまの一言だった。
 「そういや祐巳ちゃんの歓迎会やらなくちゃ」
 お茶会の場での発言だったので皆が話に加わって。祐巳は丁寧に断ったのだが、薔薇さまたちに押しきられてしまった。そして、昨日内容が発表されたのだ。

 「歓迎会で寒中水泳って・・・絶対間違ってる・・・・・」
 歯をガチガチ鳴らしながらつぶやく。いじめなんだろうか・・・?とも思ったが、思いなおす。多分、薔薇さまたちは退屈だったんだ。
 そこに。
 「あ、二人とももう来てたの?早いね」
 なんて言いながら暖かそうな格好をしてのんびり現れたのは、志摩子さんのお姉さまである白薔薇さま。
 「お姉さま、ごきげんよう。お姉さまも泳ぐのでは・・・・?」
 「ごきげんよう、志摩子。大丈夫、ちゃんと下に着てるよ。ほら」
 そう言ってコートの前を少し開けてみせた。その時、白い肌がチラリと見えた。志摩子さんも色白だけど、白薔薇さまも負けないくらい白くてきれいな肌だなあ。

 そこまで考えて、祐巳は自分が少々オヤジ化していることに気づき赤面した。それを、白薔薇さまは見逃してくれなかった。
 「祐巳ちゃん、今照れたでしょ。ふっふっふ、さあお姉さんに祐巳ちゃんの水着姿を見せてごらん」
 じりじりと祐巳の方へ詰めよって来る。すっかりオヤジモードな白薔薇さまから逃れようと、祐巳もまたじりじりと後ずさった。
 「白薔薇さま、いい加減にして下さいね」
 救いの声が聞こえてきた。この声は、祐巳のお姉さまである祥子さまの声。祐巳は助かった、とばかりに振り向いた。

 「!!!!!」
 祐巳の振り向いた先には、完璧なプロモーションの祥子さまの姿があった。祐巳は思わず鼻血が出そうになった。

 (お姉さまの水着姿・・・・なんて素晴らしいスタイル・・・・・)

 感動のあまり見惚れていると肩に手がかかった。
 「祐巳ちゃん、体操するよ」
 令さまだった。令さまの体は筋肉がバランス良くついていて引き締まっている。かっこいい。その後ろには黄薔薇さまが立っていた。こちらも見事なスタイルの持ち主だ。その黄薔薇さまの隣には、防寒対策バッチリですといった感じの紅薔薇さまと由乃さん。

 「あれ、紅薔薇さまと由乃さんは着替えないんですか?」
 「私、水泳ってしたことないから泳げないの。それに、お姉さまが駄目だって。心配性だから」
 くすくす笑いながら由乃さん。
 「いくら手術したからって、まだ駄目。夏になったら教えてあげるから」
 と、令さま。その令さまの保護者口調に紅薔薇さまが密かに笑った。令さまは気づかなかったようだ。
 「一チーム二人だから、私の出番はなし。ま、一応補欠ということで下に着ているけどね」
 紅薔薇さまはそう言ってコートの裾をつまんだ。


 令さまの号令の元、準備体操を終えてそれぞれのコースの前に並ぶ。
 『さあ準備体操も終え、各コースに選手が並びます』
 当然マイクの声が聞こえてきた。

 『司会、進行、実況は私水野蓉子と島津由乃でお送りします』
 『選手の紹介をしたいと思います。紅チーム、祥子さまと祐巳さん。黄チーム、黄薔薇さまとお姉さま。白チーム、白薔薇さまと志摩子さん』
 『由乃ちゃんはどこが勝つと思う?』
 『そうですね・・・皆さんどのくらい泳げるのかがわからないから難しいですけど・・・・黄チームが一番順当なんじゃないでしょうか?』
 『あの二人、運動神経が優れているものね。でも、紅チームなんて大穴っぽいけど』

 何てこと言ってるんですか、紅薔薇さま。
 祐巳は心の中で泣きを入れながら、祥子さまをちらっと見た。すると。
 「私が先に泳ぐから」
 笑ってストレッチなんか始めている。
 「お姉さま、頑張って下さい」
 「何言ってるの。あなたも頑張るのよ」
 精一杯の声援も祥子さまの苦笑で打ち消された。


 『位置について。よーい、スタート!』
 紅薔薇さまの合図で三人がプールへ飛び込んだ。
 『紅チームは祥子が先に泳ぐのね。白は志摩子、黄は令か・・・・』
 『今回は百メートルを二回ずつの四百メートルリレーです。黄チームの狙いはお姉さまでリードしようという所でしょうか』
 『なるほどね・・・でも、そうもいかないみたいよ』

 紅薔薇さまが「ほら」と言って示した方に目をやると、意外な光景が目に入ってきた。
 それは、一見ゆっくりに見えるそのフォームからは信じられないスピードで泳ぐ志摩子さんの姿だった。志摩子さんは令さまの一メートル後ろを泳いでいる。息継ぎの度に見える横顔は全然苦しそうではない。反対に、前を行く令さまの表情は苦しそうだ。
 そりゃそうだ。誰が志摩子さんのこのスピードを予想できただろうか。白薔薇さまだって、「ちょっと意外」って顔してる。

 その時、祥子さまは?と思って視界を巡らせると、無駄のない動きで鮮やかにターンし、こちらに向かってくる祥子さまの姿があった。志摩子さんより、頭一つ分後ろといったところか。
 『あら、祥子も頑張るわね。今のところ黄、白、紅の順番ね』
 『そろそろバトンタッチです。次の方々、準備は出来ていますでしょうか?』
 由乃さんの言葉に祐巳はハッとなった。そうだ、もうすぐ自分の番だ。見ると祥子さまは後十メートル。九メートル、八メートル、七、六、五、黄薔薇さまが飛び込んだ。三、二、続いて白薔薇さま。
 一、ゼロ。


 水は、冷たかった。
 飛び込んだ瞬間、心臓が縮んだ。それでも祐巳は必死に手足を動かした。水泳は得意とは言えないけれど、それでも祥子さまに恥をかかせることのないように必死で泳いだ。

  『おおっ。祐巳ちゃん頑張っています!今白薔薇さまを抜いて黄薔薇さまに迫ります!』
 『・・・でも何だかいやにあっさり抜かれましたね、白薔薇さま』
 そうなのだ。抜いた瞬間、水中で見えた白薔薇さまの顔は笑っていた。何かあるのかも、と思ったがとりあえず今は黄薔薇さまを追わないと。

 『そんなことを言っている間に、黄薔薇さまが今ターンしました。続いて祐巳さんも・・・・あ』
 『祐巳ちゃん、ターンできないのね・・・・・』

 そうです、私はターンできないんです。と、実況する二人に祐巳は心の中でつぶやいて祥子さまの元へひた泳ぐ。が。
 突然の疲労が祐巳を襲った。体がなかなか前へ進まない。黄薔薇さまの姿が遠くなった。
 その時、隣のコースの白薔薇さまが突然祐巳の横に並ぶ。そしてそのまま抜き去っていった。

 (白薔薇さまって確か結構後ろにいたんじゃ・・・!)

 驚きながらも懸命に後を追う。
 『白薔薇さまが祐巳さんを抜いて二位に浮上!祐巳さん、疲れたのかペースダウンです』
 『機会をうかがっていたいたわけね。あ、今黄薔薇さまと白薔薇さまが同時にタッチ!』
 『祐巳さん後五メートル。頑張って!』
 由乃さんの声援が聞こえ、えいっと手を伸ばしてタッチする。
 祥子さまが飛び込んだ音が聞こえ、波が寄せてきた。その波に揺られ、漂うように祐巳は端に寄った。プールサイドへ上がろうとした祐巳の手を誰かが引っ張ってくれた。

 「祐巳ちゃん大丈夫?」
 見ると黄薔薇さまだった。黄薔薇さまは祐巳を引っ張りあげ、タオルを掛けながら、
 「疲れたでしょう?次があるから休んでいなさいね」
 と、祐巳を労ってくれた。祐巳は少し意外な黄薔薇さまの優しさに甘えて、お礼を言って座り込んだ。

 『さあ後半戦です。何と現在トップは志摩子!続いて令と祥子が並んでいる!』
 『すごい、祥子さま!多少の遅れも何のその!二位を巡ってデッドヒートです!』

 「祐巳ちゃんのためとはいえ、張り切っちゃってまあ」
 プールを見つめていた白薔薇さまのつぶやきに体力回復を図っていた祐巳は反応した。
 「私のため・・・?どういうことですか?」
 「ん〜、祥子は祐巳ちゃんの負担を軽くしようとしているの。祥子がここで追いつけばふりだしに戻る。逆に今祥子が離されたら祐巳ちゃんは自分を責めちゃう。そういうこと」
 白薔薇さまは優しくそう言うと志摩子さんに声援を送った。


 (ああ、そういうことか)
 祥子さまは、祐巳が思っている以上に祐巳のことを考えてくれているようだ。それがわかると少し嬉しくなった。
 「お姉さま、頑張って下さい!」
 祐巳が応援すると、祥子さまのスピードがちょっと上がったように見えたのは気のせいだろうか。
 『あっ、今横一線に並んでいます。祥子さまもお姉さまも、すごい追い上げです!』
 『これで勝負はわからなくなってきたわね』
 祥子さまの手が壁についた。
 と、同時に祐巳は元気良く飛び込んだ。



 結局祐巳は一番最後にゴールした。いくら気合いがあっても、体力がついてこなかったのだ。
 (祥子さまに会わせる顔がない・・・)
 すっかり落ち込んでいる祐巳に志摩子さんが声を掛けてきた。
 「祐巳さん、風邪をひいてしまうわ。中へ入りましょう」
 「志摩子さん・・・・・」
 「そうそう、志摩子の言う通り。とりあえず中へ入ろう」
 元気良く祐巳と志摩子さんに腕を回して言うのは、先ほど一位でゴールした白薔薇さま。
 引きずられ気味に歩いていると、祥子さまが立っていた。
 「祐巳」
 びくっとして祐巳は深ぶかと頭を下げた。

 「あのっ、すみませんでした!折角お姉さまが頑張って下さったのに、私っ・・・・・」
 「何言ってるの。あなたも頑張っていたじゃない。最後まで泳ぎきれたのだからそれでいいでしょう?」
 そう言うと祥子さまは「はい」とタオルを差し出してくれた。
 「お姉さま・・・」
 祐巳は祥子さまの心遣いがすごく嬉しくなった。タオルを取る時、祥子さまは祐巳の手を軽く握った。
 それだけのことなんだけど、祐巳には祥子さまの思いが十分すぎるほど伝わってきた気がした。
 祐巳は少し泣いた、が、祥子さまは気づかなかった。そんな祥子さまが祐巳は好きだな、と思った。だから気づかれなくても「ま、いっか」と思った。


 余談だが、祐巳はしっかり風邪をひき翌日学校を休んだ。しかし、祐巳以外は誰一人休まずピンピンしていた。
 二日後登校して蔦子さんから話を聞いた祐巳は、山百合会幹部連中のすごさを改めて思い知った。


あとがき


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