カチャ・・・カチャカチャ・・・
「う〜」
薔薇の館の二階で祐巳は唸った。かれこれ十分はこうしている。
「蔦子さ〜ん、無理だよー」
祐巳は幾何学的な形をしたそれを放った。はぁ〜、と溜め息を吐きながらテーブルに突っ伏した。
「祐巳さん、何してるの?」
背後から声が掛かる。この声は、由乃さん。
祐巳は体を起こすと、少し遠くに行ってしまった物を引き寄せた。持ち上げて、目の前で「これ」とプラプラと揺らして見せる。
「ああ、知恵の輪」
由乃さんは鞄を置きながら言った。
「私もやりたい。貸して?」
「いいよ、はい」
知恵の輪が由乃さんの手に渡る。由乃さんには悪いが、彼女の性格からして、五分くらいしか持たないんじゃないかなと思う。
由乃さんが取り外しにかかるのを見て、チラッと時間を確認する。果たして、五分以内に外せるのか―――
結果はすぐに分かった。
「あー、もう!ぜんっぜん外れない」
時計を確認。時間は三分くらいしか経っていない。思ったよりも早かった。
「ところで、知恵の輪なんてどうしたの?」
祐巳の方に戻しながら、由乃さん。
「蔦子さんが貸してくれた。部室にあったんだって」
祐巳は手元の知恵の輪に視線を落としたまま答える。
「ふーん。でも、知恵の輪って難しい。小さい頃は外せてたのに」
「そうだね。ねえ、これって外し方ってあるんだっけ?」
「あるんじゃない?」
知らないけど、と由乃さんは付け足した。
その時、扉が開いた。開く時にギィ、と軋んだ。立て付けが悪くなっているのかもしれない。今度番をチェックしておこう。
連れ立ってやって来たのは、紅薔薇さまと黄薔薇さま。
「ごきげんよう」
しかしごきげんようと挨拶する紅薔薇さまの機嫌は悪そうだ。
「ごきげんよう」
反対に、黄薔薇さまは何だか楽しそうだ。この人が楽しそう、っていうのも珍しい話だが。
「祐巳ちゃん、悪いけれど冷たいお茶、淹れてくれる?」
流しに近い祐巳が頼まれる。
「今日って暑いですか?」
今はそろそろコートが必要な季節。体育でもしていらしたのか。
「誰かさんの頭を冷やさないとね」
「黄薔薇さま、それは私のことかしら?」
ここで、初めの挨拶からずっと黙っていた紅薔薇さまが口を開いた。
「他にカリカリしてる人がいるかしら?」
「別にカリカリなんかしてないわ」
「じゃあ、イライラ?」
一体何があったかは知らないが、本当に冷たい物が必要そうだ。紅薔薇さまはムキになって反論するから、その顔は真っ赤だ。
祐巳は知恵の輪を置いてお茶を淹れる準備を始めた。流しに立つと由乃さんが手伝ってくれた。
お茶を淹れる間も、薔薇さま二人の会話は続いている。
「いつものことでしょう。どうしたのよ」
「・・・江利子、面白がってるでしょう」
「あら、分かる?」
「目が違う」
「お菓子くらい、しょっちゅうじゃない」
「それは・・・」
「とにかく、これでもやって落ち着きなさい」
お茶を淹れ終えて二人の薔薇さまの前に置くと、紅薔薇さまが真剣な目で知恵の輪をやっている。
でも、紅薔薇さまだったらパパッと外しちゃうんだろうな、なんて思っていたのに。黄薔薇さまがお茶を飲み終わっても、外れなかった。
「落ち着いてやらないからよ」
黄薔薇さまが横からスイッと手を伸ばした。そしておもむろにカチャカチャし始めると、あっという間に外して見せた。
「・・・すごーい」
祐巳と由乃さんの感嘆の声が重なる。
「こんなの、外し方を知っていれば簡単よ」
謙遜とも取れる言い方だが、そのお顔から察するに、そんな物は欠片も見当たらない。本当のことを淡々と言っているだけだ。
「そういえば、白薔薇さまはどうしたんですか?」
言った後で紅薔薇さまの眉がピクリと動くのを見て、「しまった」と後悔した。テーブルの下で由乃さんに足を小突かれた。
「まだ下級生にお菓子を貰っているんでしょう」
あまり面白くなさそうに、紅薔薇さまが言う。なるほど、だから今日は機嫌が悪いのか。しかしそれだけでこんなに不機嫌になるものなんだろうか。隣で、全て知っていそうな黄薔薇さまが声を出さずに笑った。
その時、やっと二年生が来た。
「ごきげんよう。あ、さっき白薔薇さま見ましたよ。花壇の辺りですごい盛り上がりでした。ねえ、祥子?」
「そうね。でも、誰彼構わず抱きつくのは少し考え物だわ」
何も知らない二年生は地雷をどかそかと踏んでいく。いや、地雷地帯に爆弾を投げ込むと言った方が適切か。
「抱きつく?」
「はい。写真も撮ってましたよ」
無邪気な令さまが笑顔で答える。由乃さんがこっそりと頭を抱えた。
「ちょっと迎えに行ってくるわね」
突然笑顔になって紅薔薇さまは席を立った。
「行ってらっしゃい」
黄薔薇さまが手を振って見送っている。紅薔薇さまが出ていった。
「・・・・・いいんですか?」
恐る恐る、由乃さん。
「自業自得よ」
そこに、例のごとく委員会で遅れていた志摩子さんがやって来た。
「すみません、遅くなりました。・・・あの、今、紅薔薇さまが・・・」
「白薔薇さまを迎えに行くって」
「いえ、そうじゃなくてその、表情が・・・」
「表情が?」
黄薔薇さまが愉快そうに尋ねる。
「・・・何だかすごく険しかったんですけど・・・」
紅薔薇さまは確か笑顔でここを出ていった筈。と、いうことは・・・。
やれやれ、白薔薇さまも大変だ。いや、本当に大変なのはそんなお姉さまを持った志摩子さんか、はたまた紅薔薇さまか・・・
「聖っ!!何してるのよ!!」
「うわっ、蓉子!?」
「ほら、行くわよ!」
「あああ〜、みんな、ごめんねぇ〜」
「随分サービスしてたじゃない?」
「だって蓉子はお菓子作ってくれないし、食べさせてだってくれないし〜」
「うるさい!」
「ああぁ〜・・・」