祥子。

 遠くで名前を呼ばれた。目を凝らすと、お姉さまがそこにいた。

 ―――卒業、された筈では?
 そうよ。

 ゆっくりと近づいてくるお姉さま。その表情はどこまでも優しい。

 だからもう、私はあなたの傍にはいられない。

 ぐらり。
 足元が一瞬揺らぐ。覚悟は出来ていたつもりだったのに。

 ・・・・・。
 私はあなたに少しでもお姉さまらしいことが出来たかしら?

 気付けばすぐそこにお姉さまがいる。その瞳が、いつになく不安げに揺れていた。
 目を伏せるお姉さまに、胸を張って言葉を返す。

 もちろんです。私は、貴方の妹になって変われました。そして今も。
 そう?それなら良かった。

 ほっとしたような表情で顔を上げたお姉さま。私はそんなに心配させているのだろうか。
 お姉さまが手を伸ばす。指先が軽く、私の頬に触れた。

 あたたかい

 祥子。

 また、名前を呼ばれた。

 あなたの姉になれて私は嬉しかった。

 触れていた指先がするりと私の頬を一回撫でると、不意にお姉さまに抱き締められた。

 ありがとう。

 そして、あっさりと離れた。ありがとう、と言った時のお姉さまの顔は、いつものお姉さまだった。

 私、もう行くわ。
 お姉さま・・・。
 ねえ祥子。これだけは覚えておいて。あなたは何も完璧でいる必要はないの。
 え・・・?
 怖がることはないわ。あなたの周りの世界は、きっとあなたに優しいわ。
 そうでしょうか。・・・私にはよく解りません。
 そうかも知れない。でも大丈夫よ、今の祥子なら。

 お姉さまが怒ったように笑った。

 私の言うことが信じられない?
 そういうわけではないのですが。
 じゃあ、信じてみなさい―――



 「―――、お姉さま」

 少し億劫に目を開けると、祐巳が眉をやや八の字にして私を覗きこんでいた。

 「・・・何?」
 「あの、その」

 浅くとは言え、眠りから覚めたばかりのせいで口調が少しきつくなる。
 案の定、祐巳は口をパクパク動かす。

 「いきなり動かなくなった祥子を祐巳ちゃんは心配してたんだよね」

 仕事が溜まってるよ、と言いながら令がプリントを寄越してきた。
 それも、かなり沢山。

 「・・・ちょっと多すぎない?」

 令を見ると、彼女は無言で一点を指し示した。
 令の指の先には、倍ぐらいのプリントの山を乃梨子ちゃんと一緒に仕分けしている志摩子の姿が。

 「・・・分かったわよ」
 「うん、よろしく」

 令はそう言って私と同じくらいのプリントが待つ席に戻って行った。
 軽く頭を振って本格的に仕事に向き合うと、祐巳がつつっと寄って来た。

 「お姉さま、疲れてるんじゃないですか?」
 「え?―――大丈夫よ」

 ちらりと祐巳に視線を向けてすぐに顔を下に向けたが、もう一度祐巳の方を向く。

 「心配してくれてありがとう」

 ふと、祐巳はあんなに心配そうに私を見ていたのだと思い出した。
 夢の中ではお姉さまに心配されて、現実では妹に心配かけて。
 こんなことではいけないな、と思うと同時に、何故か嬉しく感じている自分がいた。
 心配されることがやけに嬉しい。
 私が一人不調だとしても、それを補ってくれる人達に今更気付いた。
 それに何より。

 「疲れたらいつでも言ってくださいね。マッサージでも何でもしますから!」

 たった一言お礼を言っただけでこんなに嬉しそうな顔をしてくれる祐巳の存在が、ひどく愛しい。
 つられて笑うと、祐巳は更に顔を綻ばせた。

 いつもの場所で、いつもと同じ顔ぶれ。会話はなくてもすごく落ち着く。
 表現するなら、温かい。

 夢の中でお姉さまが言っていたことが、ほんの少しだけ解る気がした。






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