昼休み。
 人気のないお御堂に静のアカペラが響き渡る。
 別に音楽室でも構わなかったのだが、お御堂の方が声が響くので歌っていて気持ちがいい。そんな理由で静はお御堂を選んだ。

 歌い終え、微かに残った自分の声の余韻を楽しんでから、楽譜を閉じた。もうじき昼休みも終わる。教室へ戻ろうとしたとき、視界に人の頭が入った。

 「・・・?」

 椅子の上に横たわっているその人物を確かめようと静は覗き込んだ。

 「白薔薇さま・・・」

 静の声に、寝ていた聖が身を起こす。
 「・・・あ、静。何だ、歌い終わっちゃったんだ」
 伸びをしながらちょっと残念そうに聖は言う。
 「白薔薇さま、いつからここに?」
 誰もいないと思っていただけに静は驚いた。しかし、静を驚かせた当の本人はのほほんと答えた。

 「いつから、って・・・静が来たときにはもういたんだけど」
 「えっ?」
 「まあそのときはもう寝てたから。静が気付かなかったのも無理ないか」
 聖が立ち上がって首を左右に捻る。コキコキッという音が響いた。

 「・・・歌を、聴かれたのですか?」
 「ん? うん。一回、目、覚ましたときに。気持ち良さそうに歌ってるの邪魔しちゃ悪いと思って大人しくしてたら、また眠くなって。
  で、今起きた」

 眠気が取れてすっきりした表情で聖が答える。聖の答えに静は少し顔を赤くした。
 歌を聴かれることは慣れているはずなのだが、何だかやけに気恥ずかしい。
 俯き気味の静に聖が「そういえばさ」と声をかけた。

 「静はもうすぐイタリアに行くんだっけ」
 どこか寂しそうに聖は言う。
 「別れを惜しんでくれるのですか?」
 静は微笑みを浮かべて尋ねた。
 「そうかも。せっかくこんなに素敵な人と知り合えたのに、すぐにお別れ、っていうのは少し、寂しい」

 聖が「寂しい」と言ってくれたことが静には意外だった。絶対に、そんなことは言ってもらえないと思っていたのに。
 「でも。日本に残ったとしても、あなたは卒業してしまう」
 静はそっと下唇を噛んだ。
 イタリア行きを決めたのは自分。聖の卒業まで日本にいることを決めたのも自分。
 それなのに、どうしてこんなに泣きたくなるのか。

 この人だけのために歌いたい。切実に、そう思った。
 「白薔薇さま、好きな歌はありますか?」
 「特にないけど・・・」
 「そうですか」

 ほぼ予想通りの答えに内心笑った静はくるりと聖に背を向けた。そして軽く胸を張って歌い出した。
 グノーのアヴェ・マリア。静が以前に志摩子に聴かせた歌。

 あの時は志摩子に。そして今度は聖に。
 静は自分の大切な人のためだけに歌えることに喜びを感じた。


 聖は歌う静を見つめていた。背中を向けているため顔は見えないが、それでも聖は、静が幸せそうな顔をして歌っているだろうと確信していた。こんなに伸びやかに、透き通るような声で歌っているのだから。
 聖は天井を見上げた。普段は見ることのないステンドグラスが目に映る。
 志摩子のような信仰心はないが、それでもこの光景は美しいと思う。
 その美しい空間に今、静の歌声が響いている。
 それはとても厳かで。自分のような人間がこの場にいてはいけないのでは、と思わせた。


 静が歌い終えると、そっと聖が口を開いた。
 「流石だね。私が一人で聴くなんてもったいないよ」
 静は、聖の言葉を否定した。
 「いいえ。私は、あなたに聴いて欲しかった」
 口元で少し、笑う。
 「この歌、以前志摩子さんにも歌ったんですよ」
 「そう」
 「・・・お二人に、それぞれ歌うことが出来て、私は幸せです。だから」
 言おうか言うまいか逡巡した静が、聖の手を取りながら意を決したように続けた。
 「どこかでこの曲を聴いたときくらいは、私を思い出してくださいね」
 聖が繋がっている手に力を込めたのが伝わった。
 「忘れないよ。忘れられるわけ、ないじゃない」
 「・・・ありがとうございます」

 静は涙を零した。聖の言葉が真っ直ぐで。どうしようもなく嬉しかった。


 いよいよ走らないと午後の授業に間に合わなくなったので、静は涙の筋を拭って先を歩く聖に続いてお御堂を出ようとした。
 扉を開けた聖が振り返っておもむろに口を開く。

 「向こうに行っても、また戻ってくるんでしょう?」
 「? 一応、そのつもりですが・・・」
 「じゃ、戻ってきたらまた聴かせてよ。さっきと同じ歌」
 扉から入り込む光を背負った聖が笑った。静は思わず目を細めたが、それは眩しさのせいだけではなかった。
 「分かりました。そのときは、きっとまた」
 「うん。約束」
 約束の指切りをした。その指切りに静は想いを込めた。
 ―――そのときまで、私の歌声があなたの耳に残っていますように。






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