街が輝いている。時は十二月。クリスマスを控えて行き交う人々の表情は皆一様に楽しそうだった。
 慌ただしくも華やかな空気の中、一人の少女が膨れっ面で歩いていた。少女と言ってもその外見は実際の年齢より上に見える。彼女の実年齢を知っている者でさえ、つい錯覚してしまう程大人びている。
 (まったく、あの人は何を考えているのか)
 むかむかする。気持ち悪いのではなく、怒りで。
 美しい顔にはっきりと怒りを滲ませて、少女は人込みを歩いていった。


 同じ頃。高層マンションの上部の部屋で、はるかは稀に見る間抜け面をしていた。口をぽかんと開け、しきりに瞬きを繰り返した。隣に置かれたクッションにはついさっきまで誰かが座っていた痕跡が残っている。
 誰かが。みちるが。
 (何か、したっけ?)
 みちるを怒らせるような何かをした覚えはない。はるかの部屋でのんびりと午後の時間を過ごしていただけだ。
 (ええっと―――。確か僕はみちるに贈るプレゼントのことを考えてて、みちるは雑誌を読んでて―――それから――みちるに何か言われたんだっけ。考え事してたから適当に相づちをうったけど―――――)
 そこまで考えて、あっと思い当たった。もしかして、ぼんやりしていて何か大事なことを言われたのに気づかなかったのかも。そうに違いない。でなければ、あんなに怒るわけがない。
 しかし今更「あの時何言ったの?」などということを聞き返すわけにもいかない。第一、みちるがどこに行ったのかも分からない。はるかはみちるが戻ってくるのを待つしかなかった。


 雑踏に紛れながらみちるは冷静さを取り戻してきた。ちょっと、大人げなかったかも。そんな考えが頭をよぎる。けれど、あれはどう考えてもはるかが悪い。雑誌のクリスマス特集を見ながらはるかに、今年のクリスマスはどこに行こうかと言ったのに、はるかは「ああ、うん」と返してきた。明らかに聞いていなかったというのが丸分かりという風に。答えになっていない。けれど、そのこと自体にはそこまで怒りは湧いていなかった。問題はもっと別にあった。
 最近はるかはどこか上の空だ。みちるが話しかけてまともな返事が返ってくる確率は五十%くらいだ。そうした日々の積み重ねが、偶々さっき爆発してしまったのだ。
 怒りにまかせて歩いていて、少し疲れた。行きたいところがあるわけでもなかった。
 (帰ろう)
 そう思って、自分の部屋に向かおうとして、コートやらバッグやらを全てはるかの部屋に置いてきてしまったことに気づいた。何となく顔を合わせづらい、そう思いながらはるかの部屋に足を向けた。

 はるかの部屋に戻ってリビングに置きっぱなしの荷物を取りに行く。はるかは誰かと電話をしているようだ。
 珍しいと思いながら自分の荷物を手にする。そしてそのまま部屋を出ようとした時、ちらりとはるかの視線を感じた。が、みちるはそれを無視した。さっき落ち着いたはずなのに、はるかの顔を見たら再びむくむくと怒りが湧き起こった。
 はるかの声が小さく聞こえる。
 「・・・うん。当たり前だよ。・・・好きだよ」

 はるかが電話口で「好きだよ」と言った。小さな声だったが、はっきりと聞き取れた。みちるはその言い方に聞き覚えがあった。今までに何度も自分に向けられた言葉だ。だから、断言できる。言葉の中に、愛情を込めて言ったことに。
 誰に?電話の相手に?
 一度は帰ろうと思ったみちるの気が変わる。こそっとはるかの側に行って、小声で尋ねる。
 「誰?」
 電話を少し遠ざけて、どことなく答えにくそうにしたはるかが、スタッフ、とやはり小声で答えた。それからすぐに電話を切ってみちるの方に向く。
 「みちる、よかった。心配してたんだ」
 そう言って笑う顔はいつもと変わらないように見える。
 みちるはむぅっと眉を寄せた。自分には上の空で、スタッフの人とは楽しそうに電話するなんて。
 面白くない。
 コートを着て、バッグを持ったみちるははるかの呼び止める声を無視して出て行った。


 そんなことがあったから。みちるは二十四日の日も朝から自分の部屋でバイオリンを弾いていた。はるかの部屋を飛び出すようにして出てきて以来、はるかに会うことを避けていた。何が悲しくて他の人のことを考えているはるかの姿を近くで見なければいけないのか。
 少しでもこのもやもやした気分が晴れればと思って弾いているバイオリンも、何の慰めにもならずにかえってみちるの心をざわつかさえるだけだった。
 と、電話が鳴る。もうこれで何回目になるだろう。三十分置きに鳴っている気がする。相手は分かっている。毎回ぴったり十回コールする人を、みちるは一人しか知らない。あまりにうるさいのでコードを引っこ抜いてやろうかとつい思う。
 絶対に出てやるものかと半ば意地になって決意し、それを思わず口に出した。すると。
 「・・・やっぱり」
 突然はるかの声がした。驚いて振り向くと、携帯電話を手にしたはるかが立っている。
 「かっ・・・鍵は!?」
 「・・・開いてたよ」
 駄目じゃないか、用心しないと、と言いながら携帯電話をぱしんと畳む。
 「きっと電話には出てくれないと思って来てみたんだけど、良かった」
 「何が・・・?」
 電話に出てもらえないことが「良かった」のだろうか。時々はるかの考えが分からなくなる。
 「みちるが他の誰かと一緒じゃなくて、良かった」
 微笑を浮かべたままはるかは言う。
 「誰かと一緒って、はるかの方こそ誰かと一緒なんじゃ?」
 言った後に少し後悔した。あまりに愛想がなさずぎた。故意ではないが突き放したようになってしまった。
 「みちる・・・」
 はるかが僅かに驚いているのが分かる。
 「ごめんなさい」
 謝ってから、みちるは逃げ出した。これ以上この場にいたら何を言い出すか分からない。
 「あ、みちる?」
 はるかの声がぶつかるが、そんなことに構っていられない。足音が二人分あることに気づき、肩越しに振り返る。
 「ついてこないでよ!」
 「まだ話は途中だし、第一みちるを放っておけるわけないだろう」
 みちるは追い詰められた。部屋の隅でプイッと膝を抱え込んでうずくまる。大して間を置かずに背後にはるかの気配を感じた。
 「捕まえた。―――鬼ごっこは、もうお終い」
 後ろから包み込まれた。はるかの声はまだ続く。
 「一体どうしたんだよ。最近みちる変だよ」
 「変なのははるかの方よ」
 膝に顎をうずめたままぽそりと言うと、はるかが「へ?」と間の抜けた声を出した。
 「・・・だってこの前電話してた時”スタッフ”さんに好きだよって言ったじゃない。その前からぼんやりしてることが多かったし」
 言いたくても言えなかったことが流水のように出てくる。はるかは黙って聞いていた。一通りはるかに吐き出してしまうと、少しすっきりした。
 「―――みちる、ひょっとして妬いてるの?」
 きょとんっとはるかが言う。
 「・・・そんなことないわよ」
 そう返事をしたものの、どう聞いても肯定としか取れない。顔がかっと熱くなって、耳まで赤くなったのがはっきり分かる。
 はるかの腕をほどこうと身をよじったが、力を込められて動きを封じられた。
 「みちる、聞いて」
 耳元に、低い囁き。
 「誤解なんだ」
 「誤解?」
 「そう。あの電話は、その・・・・・」
 もごもご、ごにょごにょ。
 「言えないようなことなのかしら?」
 「ぅっ・・・電話で打ち合わせしてて、その時今日と明日は?って聞かれたから、みちると予定があるからだめって答えたんだ」
 言葉が途切れる。背中を向けているのではるかの表情は分からない。
 「そしたら、よっぽど好きなんだ、って言われてそれで・・・」
 また、ごにょごにょ。でも、言いたいことは分かった。
 「じゃあ・・・」
 「そういうこと。・・・分かってくれた?」
 「え、ええ・・・」
 何たる勘違い。自分の言動を思い出して、みちるは消えてしまいたくなった。しかし現実には無理なので、顎だけでなく鼻のあたりまで膝に回した腕にうずめた。
 「こっち向いてくれよ、みちる」
 はるかはそう言うが冗談じゃない。今の顔だけは絶対に見られたくない。みちるはそう思って頑として振り向かなかった。けれど。
 はるかが、ひょいっと覗き込んできた。
 「きゃ・・・!」
 「みちるのそんな顔、初めて見た」
 さも嬉しそうにはるかが笑う。
 「だから見られたくなかったのに・・・」
 「ごめん。でも、何だか嬉しい」
 苦笑混じり。
 「嫉妬するのは僕だけかと思ってた」
 「はるかが?」
 「何だ、知らなかった?僕は、妬きもちやきなんだ」
 今度ははるかが決まり悪そうな顔になった。その表情を、みちるは可愛いと思った。
 「知ってたわよ」
 だからついくすくすと笑いが洩れてしまう。

 はるかとの間にあったぎこちなさが消えた時、既にクリスマスイブを楽しむには遅い時間になっていた。
 「ごめんなさい。私の勘違いで今日一日を潰してしまったわね」
 「そんなことないさ。どんな形であれ、みちると一緒に居られたんだから」
 笑顔を浮かべてはるかは言う。そしてコートのポケットから何かを取り出した。不思議に思っていると、
 「一日早いけど、メリークリスマス」
 そう言って手のひらを開いた。中には、赤いリボンが掛かった鍵が一つ。
 「何の鍵?」
 はるかの手のひらから拾い上げて眺める。車の鍵ではなさそうだ。すると。
 「僕の部屋のスペアキー」
 あまりにさらりと言うものだから、思わず手にした鍵を落としそうになった。
 「・・・いいの?」
 「みちるに、持っていて欲しい」
 目を細めて笑うはるかにみちるは微笑みかけた。
 「ありがとう」
 はるかの顔にうっすらと赤みがさした。

 咳ばらいが一つ聞こえる。
 「明日の夕方、迎えに来るよ」
 「あら、今夜は?」
 ゆっくりとはるかの右手が動いてみちるの髪を後ろに向かって梳いた。その流れで頬に手を当て、軽く音を立ててキスを落とす。
 「・・・今夜は、月が眩しすぎるから・・・」

 明かりを点けていない室内に月の光が広がっている。
 外を見遣ると強く光る月が浮かんでいた。

 まるで、作り物のように。



あとがき





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