ささやかな酒宴

 「せつな、少し飲まないか?」
 はるかがカウンターから顔を覗かせた。
 声を掛けられたせつなは驚いて読んでいた雑誌から顔を上げた。
 「珍しいですね。みちるは誘わなくてもいいんですか?」
 グラスの用意をしながらはるかが言う。
 「レッスン室に篭ったら最後、声を掛けても出てこないさ」
 いたずらっぽく笑いながら、続ける。
 「それに、たまには君と二人で飲んでみたい」
 せつなは雑誌を閉じた。
 「・・・そうですね、たまには、いいですね」
 「決まり。待ってて、面白いやつ作るから」

 この家のキッチンの一部は小さなバーカウンターになっている。道具も一通り揃っており、いつでも酒をカクテルを作ることが出来た。とは言っても、作っているのははるかだけである。せつなはストレート以外あまり口にしないし、せいぜいロックか水割りだ。みちるは家ではワインが多いから、こういう道具とは無縁だ。
 そんな二人とは逆に、はるかはしょっちゅう何か作っている。外で美味しいカクテルを飲んだ次の日は必ず再現を試している。

 レシピもかなりの数があるのだろう、とぼんやりしていたせつなの前に、グラスが置かれた。
 「これは?」
 カクテルを普段あまり飲まないせつなには、グラスの中にある物が何なのか判らなかった。
 「ロング・アイランド・アイスティー」
 同じ物を持ってせつなの向かいにはるかが座る。せつなが一口飲んだ。ゆっくりと飲み下し、それから驚いた風に目を大きくした。
 「アルコールの匂いがするのに、アイスティーの味・・・?」
 「驚いた?僕も初めて飲んだ時驚いたんだ。その時せつなにも飲ませようと思って、レシピを聞いてたんだ」
 せつなが驚いたことで満足そうにはるかは笑った。
 「私に・・・ですか?」
 せつなはさっきと違う驚きを口にした。
 「ああ。せつな、紅茶も好きだろ?ぴったりだなって」
 はるかはグラスの中身を半分程飲んだ。
 「我ながら、良く出来てる。レシピ教えようか?」
 「では、後で」
 答えてお酒で作った紅茶の味をせつなは楽しんだ。

 「それにしても、君と二人で飲むのは何時ぶりかな?」
 空になったグラスの縁を親指の腹で撫でながらはるかが呟いた。
 せつなが記憶を辿る。
 「確か、ほたるが転生してすぐの時に一度飲みましたね」
 「そうか・・・」
 はるかが少し遠い目をした。
 「グラス空いたね。次は何飲む?」
 立ちあがりながらはるかが尋ねる。
 「はるかにお任せします」
 「了解」

 みちるが相手なら、きっとはるかは愛を表現するカクテルを作るのだろう。せつなに対しては一体どんなカクテルが出てくるのか。
 少し、緊張した。

 「キス・イン・ザ・ダークです」
 ウエイターのような手つきでせつなの前にグラスを置く。
 「僕に任せるって言うからさ、せつなのキスのイメージで作ってみた」
 「私の、キス?」
 「そう。何か、静かで深そうだなって。想いが」
 伏し目がちにはるかは言う。
 「以外と甘そう。これと同じ」
 はるかの喉が動く。
 「それは、してみないと判らないんじゃないですか?」
 ふふっ、とせつなが笑う。
 「してもいいのなら」
 はるかが立ちあがり、せつなの隣に腰を下ろす。ソファの背中に腕を回し、せつなに顔を近づける。
 「みちるには?」
 「もちろん内緒」
 「それでは駄目です」
 「あ、やっぱり?」
 ぱっと手を上げ、降参のポーズ。
 「今日は色々作ろうか。次、作ってくる」
 ひらひらと手を振っている。せつなはお願いします、と笑った。

 「ブルー・ムーン」
 その名と違い、淡いバイオレットが美しいカクテルが出された。
 「どうしてもせつなにはこういう色のを出しちゃうね」
 苦笑いしながらはるかがレモンを手に取った。鼻歌混じりにレモンを剥いていく。
 せつなが一杯飲み終えるのを見計らって、次を出す。
 コリンズグラスにレモンの皮が引っ掛かっている。
 「ホーセズ・ネックですか」
 「そう。飲み口が爽やかで僕のお気に入り」
 自分の分も作りながら、はるかは答える。
 「それにしても、今日は長いですね」
 「え?」
 「みちるですよ」
 「ああ、そうだな。リサイタルが近い訳でもないのに」
 お互い同じ壁時計を見ながら会話する。

 「さて、腕を振るうかな」
 はるかは再びレモンを手に取った。せつなはカウンターに近寄った。はるかが慣れた手つきでシェークする。砂糖でスノースタイルされたグラスに、エメラルド色の液体が注がれる。そして最後にレッドチェリーが沈む。
 「これ、青い珊瑚礁って言うんだ」
 「良く出来ていますね。まさに珊瑚礁といったところですか」
 口をつけると甘酸っぱい味がした。飲み干したところで、せつなは少し眠たくなった。口当たりの甘い物ばかりだったので、つい飲みすぎてしまったのかもしれない。
 「せつな、顔赤いよ。大丈夫?」
 「大丈夫です。少し飲み過ぎたみたいですね」
 「じゃあ次がラストオーダーかな。向こうに座って待ってて」
 せつなは体がふわふわする感じを覚えた。こんなに酔ったのは随分と久し振りだ。ソファに座ると少しひんやりとした。その温度が気持ち良かった。

 「はい。X・Y・Z」
 はるかに声を掛けられて、せつなは目を開けた。どうやら眠りかけていたようだ。
 せつなの前には、白いカクテル。はるかの前にはジン・トニックがある。
 「それ、これ以上ない、とか最高の、って意味があるらしいよ。でもカクテルの王様はマティーニって言われてるよね」
 可笑しそうにはるかは笑う。
 「でもそう言われてもいい美味しさですよ。はるかの腕がいいのですね」
 「お褒めに預かり、光栄です」
 せつなが最後の一口を飲み干した。その口に、ラムのすっきりとした後味が残る。
 「それでは、すみませんが私はこれで・・・」
 「ああ、飲ませすぎてごめん」
 「いいえ。美味しかったですよ。ありがとうございました。はるかはまだ寝ないのですか?」
 「ここで少し寝てからみちるの様子を見に行くよ」
 はるかはジン・トニックを半分残した。

 「ごめん、灯り消して」
 せつなが灯りを消すと、部屋が暗闇に包まれた。
 「じゃ、おやすみ」
 そう言ってはるかはソファに横になった。はるかがうとうとしかけた時、何かが触れた。何かと言っても、それがせつなの唇であることがすぐに判る。
 吐息が混ざる。
 思わず深く吸いこんだはるかは、その甘さに眩暈がする気がした。
 「・・・甘かったですか?」
 「・・・・・・」
 「温もりが欲しくなる時があるんですよ。それでは、おやすみなさい」
 せつながリビングを出ていく。残ったはるかは、飲み残したグラスの炭酸が抜けるまで呆けていた。
 やっと我に返って、唇を舐める。せつなの唇は、レモンの苦みだけを残していた。
 「・・・苦かったよ」

あとがき





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